〜“支援の形”をもう一度考え直す〜
はじめに:ひきこもり支援の“定番”を疑ってみよう
日本のひきこもり支援では、
「居場所事業」「カウンセリング」「就労支援」という3本柱が定番になっています。
けれど、現場にいるとこう感じることがあります。
「居場所を作っても、人が集まらない。」
これは“支援が届いていない”のではなく、支援の設計がズレているのです。
「居場所」って、そもそも何のためにあるの?
多くの支援者はこう考えます。
- 家にこもってばかりでは健康にも良くない
- 外に出て人と関わることが回復につながる
- 交流の場を作れば、社会との接点が生まれる
確かに一理あります。
けれど、それを**「ひきこもり本人の立場」から見たとき**、どう感じるでしょうか?
利用者の心理:お世話されたいわけじゃない
多くの“居場所事業”が見落としているのは、
**「利用者の心理とニーズ」**です。
ひきこもりの人は、
「支援してほしい」「構ってほしい」と思っているわけではありません。
むしろ、
「家ではない場所がほしい」
「干渉されずに過ごしたい」
「安心して静かにいられる空間がほしい」
そう思っている人が多いのです。
にもかかわらず、現実の居場所では、
- スタッフが積極的に話しかけてくる
- 無理に交流を促される
- 「楽しませよう」という意図が透けて見える
——そんな“過干渉な環境”になってしまうことが少なくありません。
本当に必要なのは「尊重される空間」
理想的な居場所とは、
「何かをさせる場所」ではなく、
**「存在を尊重される空間」**です。
設備としては、これだけで十分。
- 電源とWi-Fi
- テーブルと椅子
- パソコン(必要なら貸出OK)
- フリードリンク
そして、スタッフは「話しかけなくていい」。
必要なときに聞かれたら対応するだけで十分。
この“距離感”こそ、ひきこもり当事者が求めている安心感なのです。
「価値の循環」が生まれる仕組みを
さらに、理想の居場所には小さな経済循環を加えると良いです。
たとえば:
- 有給の簡単な仕事(軽作業・データ入力など)を用意
- 「支援」ではなく「仕事」として依頼する
- 支払いが難しい場合は「チケット制」も導入可能
そのチケットで、ドリンクを買えたり、講座を受けられたりする。
これだけでも**“自分の行動が価値になる”**という感覚が生まれます。
「楽しませよう」としない勇気を
支援者の多くは「せっかく来てくれたから楽しくしてほしい」と思います。
しかし、それは支援者側の価値観です。
ひきこもり当事者にとって大事なのは、
**「楽しい」より「安心できる」**こと。
無理に笑わせようとせず、
無言でも同じ空間にいられる関係。
それが本当の“居場所”の形です。
提言:居場所は「支援」ではなく「社会のインフラ」に
ひきこもり支援の居場所は、もっと“特別扱い”をやめるべきです。
「支援の場」ではなく、社会の中の自然な選択肢として存在させること。
たとえば、
- コワーキングスペースとカフェの中間のような場所
- 利用者とスタッフが対等にいられる場
- 仕事・学び・休息の境界がゆるやかな場
そうした空間があれば、
人は自分のペースで“社会に戻る練習”ができます。
まとめ:「居場所」は“お世話の場”ではなく、“尊重の場”
ひきこもり支援における「居場所」は、
“交流させる場”ではなく、“尊重される場”であるべきです。
- 何も話さなくていい
- 何も頑張らなくていい
- ただ「いていい」空間がある
それこそが、ひきこもりから回復する最初の一歩。
「居場所」とは、“支援”ではなく、“安心の土台”なのです。

