私たちアウトリーチは、ひきこもりの原因を

「『自分とはなにか?』を考える機会がなかったから」

としています。

それについて説明する前に、

ひきこもりというのは、どういう人なのかを

定義していきます。

内閣府などの定義では、

半年以上、社会との交流を絶っている状態としていますが、

私たちアウトリーチは、

「一旦ひきこもった後、社会復帰できない人」

としています。

社会復帰とは、社会との交流(就労やボランティアなど)をしている状態を指します。

では、本題の

ひきこもりの原因

「『自分とはなにか?』を考える機会がなかったから」

について説明をします。

「自分とはなにか?」

とは、能力や特性、性格、障害だけではなく、

自分という存在はなんなのか?

なぜ自分は生きるのか?

生きる価値とはなんなのか?

という広く深い意味があります。

この文章を読んでいるあなた自身も

「自分とはなにか?」を

深く考えたことがあるでしょうか?

誰かから、答えを示されたことがあるでしょうか?

スキルや特性など分析した人は多いかもしれません。

どこかの誰かと比べるのではなく、

たった1人の自分を深く見つめ考える機会や手法を

私たちは与えられずにきました。

「ひきこもり」が日本に多いといわれる所以はここにあります。

日本という国の教育、文化、歴史、宗教などが、個を尊ぶよりも集団の一員であることを尊重してきました。

また、身近な環境(家庭や学校)で、自分について模索するようなディスカッションの機会もありません。

だから、自分とはなにか?を考える機会がなかったんです。

では、なぜ「『自分とはなにか』を考える機会」の無いことが、ひきこもりの原因となるのでしょうか?

生きていると様々な困難に出会います。

その困難に出会ったときに、

人格を否定されたような気持ちになることは、

みなさんも経験あるかと思います。

周りからの言葉や振る舞い、

または周りと自分を比較して、

自分自身を否定してしまう。

もちろん、私も一時的に落ち込んだりもします。

けれど、ここからが分岐点なんです。

個(自分自身)を深く見つめ考えて

落ち込んだり怒りを持ったり、憎んだり、

そういった感情も含めて

困難を味わい尽くす。

その先に、新たな一歩が現れます。

感情に溺れず、情報を鵜呑みにせず、

周りと比較せず、常識といわれるものも横におき、

深い呼吸と共に、今生きている自分を感じる。

自分はなぜ生きるのか?

なぜ困難が起きるのか?

自分の喜びとはなにか?

答えが見つからなくても考える。

この考える時間をひきこもっている時に持ってほしい。

この期間にしっかり自分を見つめた人は、

次に困難が起きても

同じプロセスで乗り越えていけます。

わからないまま自分を騙して動き始めると、

遠くない時期に破綻がきます。

ある女性は

「強くなりたい」と願っていました。

ちょっとしたことで傷つくのではなく、

タフな自分になりたい、と。

強くなりたいということは、

傷つきやすい自分を否定しています。

困難が起きて傷つくたびに

こんな自分ではダメだ…

と自分を追い込み

自分自身が自分を傷つけていきます。

傷つきやすい自分を受け入れて

客観的に自分を見つめると、 

小さなことで傷つくが、

小さなことが喜びになっていることに気づきました。

周りに憧れて強くなることは、

小さなことに喜べる感受性も封じることにもなる。

周りの人と同じように強くなったら

自分から日々の喜びが消えてしまう。

このように自分を見つめた結果、

彼女は少しずつ柔軟に対応できるようになっていき、傷ついても立ち上がり前に進むようになりました。

「自分とはなにか」を考える機会

これが、困難を受け入れ

その中で地に足をつけ立ち上がる力になります。

この機会をこれまで持てなかったから、

ひきこもりから抜け出せずにいる

私たちはそう考えます。