「うちの子、かわいそう」は、わが子への「見下し」です。

頑張っている姿を、憐れみで汚さないでください。

「小中学校と不登校だったけれど、必死に頑張って大学に入った。それなのに、またうまくやれなくなって行けなくなってしまった。本当にかわいそう……」 「就職活動をあんなに頑張っているのに、どこからも内定がもらえない。かわいそうで見ていられない」

わが子を想うお母さんの口から、ため息とともに漏れるこの言葉。一見、深い慈しみに満ちた言葉に聞こえるかもしれません。しかし、あえて厳しい現実をお伝えします。 「かわいそう」という思いは、無意識のうちに相手を見下す心理から生まれています。

1. 「かわいそうなお母さんね」と言われたら、どう感じますか?

少し立ち止まって考えてみてください。 もし、私があなたに向かって、哀れみの視線を送りながらこう言ったらどうでしょうか。 「ああ、ひきこもりのお子さんを持って、あなたは本当にかわいそうなお母さんね」

私の言い方にもよりますが、決して嬉しくはないはずです。安心も勇気も湧いてこないでしょう。「かわいそう」と言われて喜ぶのは、注目を浴びたい「かまってちゃん」だけです。そうではない多くの人にとって、その言葉は「自分は下に見られている」「できない人間だと思われている」という屈辱に近い感覚を抱かせます。

お母さんがわが子を「かわいそうな子」と思うことは、無意識に「この子は自力では立ち上がれない、できない子だ」と決めつけているのと同じなのです。

2. 彼は「負け犬」ではなく「戦士」です

お子さんは、決して憐れまれるべき存在ではありません。 大学に行けない自分、内定が出ない自分。その情けなさや絶望と向き合いながら、彼は今、心の中で必死に戦っています。 成果が出なくても、大学に行けなくても、彼は「今の自分」という巨大な敵と向き合い、一生懸命に社会へ向かおうとあがいています。その姿は、本来「頑張っているね」と称えられるべきものです。

3. お母さんが今日からできる、唯一の「応援」

戦っている最中の人に必要なのは、憐れみや同情ではありません。 必要なのは、その戦う姿を信じ、そっと見守ってくれる人の存在です。

「かわいそう」という言葉を飲み込んで、こう言ってみてください。 「頑張ってるね。あったかいお茶でも飲む?」

もし私が戦っている時にそう言われたら、それだけで泣いてしまうかもしれません。 「あなたの頑張りは知っているよ。だから余計な口出しはしないけれど、いつでもここにいるよ」というメッセージ。それだけで十分なのです。

子どもは一生懸命、社会という戦場で戦っています。お母さんは少し離れた場所から、温かいお茶を用意して帰りを待つ応援団でいればいいのです。その一言が、親子関係を根本から変える光になります。


FAQ:本日の記事に関するよくある質問

Q:本当に「頑張っている」と言っていいのでしょうか?何もしていないように見えるのですが。 A: 目に見える成果(通学や就労)だけが頑張りではありません。自分を責めながらも「生きている」こと自体が、彼らにとっては凄まじいエネルギーを消費する「戦い」です。その内なる戦いを認めてあげてください。

Q:お茶を出すだけで、本当に事態が動くのですか? A: 親が「かわいそう(見下し)」という視線を外すだけで、子どもの背負っているプレッシャーが劇的に軽くなります。心が軽くなって初めて、人は自分の足で一歩を踏み出す勇気が持てるようになるのです。


【今日のまとめ】

  • 「かわいそう」は相手を「できない子」と決めつける見下しの感情。
  • 子どもは今の自分と戦っている最中。憐れむのではなく尊重する。
  • 「頑張ってるね」と認めることが、最強の応援になる。
  • 「温かいお茶飲む?」という一言で、親子関係の空気は変わる。

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