分かったはずなのに、また戻ってしまう話

――また買ってきたものを、いらないと言われてしまった――

また買ってきてしまった。
頼まれてもいないものを。

そして、
「いらない」
と言われてしまった。

頭では、もう分かっている。
頼まれていないものを買ってきても、
喜んでもらえないこと。
むしろ、負担になることもあるということ。

それでも、
何度も同じことを繰り返してしまう。

「今回は違うかもしれない」
「これなら使ってくれるかもしれない」
「少しは気分が変わるかもしれない」

そんなふうに、
つい、喜ぶ顔を想像してしまう。


分かっているのに、やめられない

「もうやらないって決めたのに」
「分かったつもりだったのに」

そう思えば思うほど、
自分が情けなく感じてしまう。

でも、ここで大切なのは、
分かっているのにできない自分を責めないことです。

なぜなら、
この行動は、
無理解や無神経から出ているわけではないから。

むしろ逆です。

それだけ、
子どものことを考えている。
それだけ、
関係を諦めていない。


その買い物の奥にあったもの

頼まれていないものを買うとき、
多くの場合、
親の中にはこんな気持ちがあります。

・このまま何も変わらなかったらどうしよう
・何かしてあげないと、置いていかれる気がする
・何もしないでいる時間が、怖い
・自分だけが止まっている気がする

そしてもう一つ。

「喜ぶ顔を見たい」

これは、
見返りを求めているわけではありません。

ただ、
「まだ関係がつながっている」
そう確認したい気持ちです。

だから、
お店でそれを見つけた瞬間、
一瞬、心が軽くなる。

「これなら」
「今度こそ」

そう思って、
手に取ってしまう。


「いらない」は、拒絶ではない

「いらない」と言われると、
胸の奥がぎゅっとします。

せっかく考えたのに。
せっかく勇気を出したのに。

でも多くの場合、
この「いらない」は、
親そのものを拒絶している言葉ではありません。

それは、

・期待に応えられない苦しさ
・使えなかったときの罪悪感
・応じることで背負うプレッシャー

そういったものを、
これ以上抱えきれない、
というサインでもあります。

受け取ることで、
「何かしなければならない」
そんな気持ちが生まれてしまうから。


戻ってしまうのは、失敗じゃない

ここで、
「またやってしまった」
「結局、何も学んでいない」
と自分を裁いてしまうと、
関係はさらに苦しくなります。

アウトリーチでは、
この状態を後退とは考えません。

なぜなら、
戻ってしまうのは、
不安がまだ消えていないだけだから。

理解と不安は、
同時に存在できます。

頭では分かっている。
でも、心はまだ追いついていない。

それは、
とても自然なことです。


大切なのは、行動より「立ち位置」

アウトリーチが大切にしているのは、
「買ってしまったかどうか」ではありません。

そのとき、自分はどこに立っていたか。

・信じて、任せている側だったか
・それとも、不安を消したくて動いていたか

もし、
「不安の側にいたな」
と気づけたなら、
それで十分です。

信じられていない自分を、
無理に肯定しなくていい。
でも、否定もしなくていい。

ただ、
「今は、ここに立っている」
と分かること。

立ち位置が分かれば、
次の関わり方は、
少し変わります。


行きつ戻りつする関係でいい

分かったと思ったのに、
また戻ってしまう。

それは、
関係が続いている証拠です。

もし本当に諦めていたら、
何も買わないし、
何も言われても、何も感じません。

揺れているのは、
まだ関係の中にいるから。

アウトリーチは、
その行きつ戻りつを、
失敗として扱いません。


最後に

また買ってきたものを、
いらないと言われてしまった。

その出来事は、
「ダメな親だった」という証明ではありません。

不安があった
喜ぶ顔を見たかった
立ち位置が揺れただけ

それだけのことです。

揺れたなら、
また戻ればいい。

アウトリーチは、
その戻り道が消えないように、
そばにいる存在でありたいと考えています。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です