親族の一言で、全部振り出しに戻った

――「そんな生活、いつまで続けるの?」と言われた日――

その一言は、
準備もなく、
唐突に飛んできた。

「……で、いつまでそんな生活を続けるの?」

責めるような口調ではなかったかもしれない。
心配してくれているだけだったのかもしれない。

でも、その瞬間、
それまで積み上げてきたものが、
一気に崩れた気がした。


それまで、ちゃんと耐えていた

正月明けから、
自分なりに気持ちを整えていた。

急がないほうがいい。
信じるって、どういうことか。
条件を出さないって、どういうことか。

分かったつもりになって、
必死に、踏みとどまっていた。

だからこそ、
この一言は、
思った以上に深く刺さった。


親族の言葉が、こんなにも苦しい理由

親族の言葉がつらいのは、
内容そのものだけが理由ではありません。

そこには、
親の中にすでにあったものが、
一気に刺激されるからです。

・このままでいいのかという不安
・ちゃんとしていないと思われたくない気持ち
・親として失敗しているのでは、という恐れ
・説明できない状態を抱えている苦しさ

普段は抑えていたこれらが、
たった一言で、
一斉に表に出てきます。

だから、
「言われたから戻った」のではありません。

もともとあった不安が、
言葉によって露出した

それだけです。


振り出しに戻ったように感じるとき

その日から、
また頭の中がざわつき始める。

・やっぱり何か動かさなきゃ
・このままじゃダメなんじゃないか
・説明できる状態にしなきゃ

せっかく「急がない」と決めたのに。
せっかく「条件を出さない」と思えたのに。

「全部、台無しだ」
そんなふうに感じてしまう。

でも、アウトリーチでは、
この状態を振り出しとは呼びません。


それは「戻った」のではなく「揺れた」だけ

人は、
安心しているときよりも、
揺れたときに、
自分の本音が見えます。

親族の一言で揺れたのは、
まだ気にしている証拠であり、
まだ関係を諦めていない証拠です。

もし本当にどうでもよかったら、
その言葉は、
ただの雑音になります。

揺れたということは、
それだけ、
真剣に向き合っているということ。

だから、
「戻ってしまった」と
自分を責めなくていい。


なぜ「世間の声」は、こんなに強いのか

親族の言葉は、
その人個人の意見以上のものを運んできます。

それは、
「世間」
「普通」
「常識」

親が一人で背負ってきた、
目に見えない圧力です。

それに触れた瞬間、
これまで内側で保っていたバランスが、
崩れやすくなります。

それは、
弱さではありません。

一人で抱えすぎているサインです。


揺れたあとに、やってほしいこと

親族の一言で揺れたあと、
すぐにやってほしいことは、
立て直すことではありません。

説明を用意することでも、
反論を考えることでもありません。

まず、
こう問い直してみてください。

・今、私は何を怖がっているだろう
・誰の視線に、いちばん影響されているだろう
・子どものためと言いながら、
 本当は何を守ろうとしているだろう

この問いは、
自分を責めるためではなく、
立ち位置を確認するためのものです。


立ち位置が分かると、言葉は変わる

もし、
「世間の目が怖かったな」
「ちゃんとした親だと思われたかったな」
と気づいたなら、

それでいい。

その気づきがあるだけで、
次に同じ言葉を投げられたとき、
反応は変わります。

・すぐに動かそうとしない
・子どもに圧をかけない
・自分の不安を、別の場所で扱える

アプローチは、
自然に変わっていきます。


最後に

親族の一言で、
全部振り出しに戻ったように感じた。

でも実際には、
何も失っていません。

揺れたことも、
動揺したことも、
関係を壊した証拠ではありません。

立ち位置が、また一段深く見えただけです。

アウトリーチは、
その揺れを、
「失敗」にしない場所でありたいと考えています。

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