私が日頃、考えていること

――平穏無事を前提にしないという選択――

今日は、
支援の現場や相談の中で、
私が繰り返し立ち返っている考えを
そのままの形で書いてみようと思います。

きれいな答えではありません。
元気が出る話でもありません。

でも、
長く苦しさと向き合ってきた人には、
どこかで「現実的だ」と感じてもらえるかもしれません。


① 平穏無事な人生など、そもそも来ない

「何もトラブルが起きない人生」
「絵に描いたような幸せな会話」
「ずっと穏やかな日常」

そんな状態が、
これから先も続く前提で生きるのは、
正直、かなりしんどい。

うれしいことも起きる。
同じように、
イヤなことも起きる。

良い出来事と悪い出来事は、
きれいに分かれて順番に来るわけではありません。

禍福は糾える縄の如し。

絡まりながら、
同時に起きます。

だから大事なのは、
「起きないようにすること」ではなく、
起きたときに、どう受け止めるか。

それだけです。


② そもそも、ひきこもりは問題なのか?

「ひきこもりは問題だ」
そう言われることは多いです。

確かに、
働かないことで収入や資産は減ります。
人との関わりが減れば、
健康面のリスクもあります。

でも一方で、
こうも思うのです。

ひきこもっていることで、
かろうじて均衡を保っている人もいる。

もしそれが、
壊れないために必要な状態だとしたら。

それは、
「悪」でしょうか。


ひきこもりを
「問題」と見るか、
「一つの現象」と見るか。

それは、
見る側の立ち位置で変わります。

自分が問題だと思えば、問題になる。
一つの状態だと思えば、それだけのこと。

だからといって、
放置していいとも思っていません。

大切なのは、
心が安心を感じられる環境や条件を、
どう整えていくか。

「かわいそう」
「大変ね」

そういう話でもない。

もっと、
地に足のついた話です。


③ 「で、どうする?」という問いを持つ

現状はつらい。
悲しい。
しんどい。

それは、
もう十分に分かっています。

誰かに言われなくても、
本人も、家族も、
何度も感じてきたことです。

だから私は、
そこで止まり続けません。

「で、どうする?」

この問いを、
自分に向けます。


感情は否定しません。
つらさも、悲しさも、
ちゃんと受け止める。

でも、
感情に浸っているだけでは、
現状は変わらない。

だからこそ、
「で、どうする?」
という問いが必要になります。

これは、
冷たい問いではありません。

主体を自分に戻す問いです。


④ 不幸は、味わい尽くしたほうがいい

「なんで、うちの子が…」
「どうして、こんなことに…」

嘆いてもいい。
あがいてもいい。

それも、
人として自然な反応です。

でも、
自然に力が湧いてくるのは、
中途半端に抜け出そうとするのをやめたとき
だと感じています。


つらい。
苦しい。
悲しい。
さみしい。

その感情を、
否定せず、
無理に明るくせず、
味わい尽くしてみる。

中途半端に
「前向きにならなきゃ」
「早く抜け出さなきゃ」
とすると、

感情は、
あとから足を引っ張ります。


「不幸を味わい尽くす」と言うと、
あきらめることのように聞こえるかもしれません。

でも、違います。

逃げずに、誤魔化さずに、
ちゃんと通る。

それだけです。

そうすると、
あるところで、
静かに力が戻ってきます。


最後に

平穏無事な人生は、
前提にしない。

問題かどうかは、
簡単に決めない。

感情は否定しない。
でも、感情に任せきりにもならない。

不幸は、
避けるより、
味わい尽くす。

これが、
私が日頃、考えていることです。

アウトリーチは、
元気づける場所ではありません。

現実を一緒に引き受けながら、
「で、どうする?」を考える場所

でありたいと思っています。

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