居場所は「フードコート」でいい。支援という名の“でくの坊”扱いを卒業せよ。

「居場所を作れば、彼らはやってくる」 そんな傲慢な思い込みに基づいた居場所事業が、膨大な予算を投じて各地で展開されています。しかし、その利用実態はどうでしょうか。1日に数人。あるいは、ゼロ。

なぜ、彼らは来ないのか。 答えはシンプルです。そこが彼らにとって「不自由で、不透明で、気を遣うだけの場所」だからです。

今日は、支援者が決して直視したがらない「居場所」の正体と、アウトリーチが提案する「本当のニーズ」についてお話しします。


1. ドアを開けるコストを、支援者は知らない

支援者は「オープンな場所」と言いますが、当事者にとって、見知らぬスタッフや先客がいる場所へ足を踏み入れるのは、命懸けの決断です。

  • 情報の不透明さ: 中に誰がいるのか、何をさせられるのか、どこに座ればいいのか。その情報がない場所は、ただの「密室」です。
  • 気遣いの強制: 入った瞬間の挨拶、スタッフからの声かけ。それらすべてが、彼らにとっては重い「コスト」になります。

ショッピングセンターのフードコートの方が、よっぽどマシです。そこには「適度な雑音」があり、「誰も自分を特別視しない自由」がある。支援者が用意した居場所より、公園のベンチの方が、彼らにとってはよほど「居心地が良い」のです。


2. 「かわいそう扱い」という名の暴力

居場所事業の根底には、「彼らは居場所がなくて困っている、可哀想な人たちだ」という支援者側の特権意識が透けて見えます。

彼らが求めているのは、特別な配慮や「でくの坊」扱いではありません。「普通の人として、そこに存在すること」です。

目的のない場所に行き、目的のない会話を強要される。それは、彼らの自尊心を削り取る行為でしかありません。彼らは目的のないことには動きません。そして、自分を「支援対象者」として定義する場所には、決して近づきません。


3. インフラが目指すべきは「ハコ」ではなく「機能」

居場所を「場所(ハコ)」として定義している時点で、設計ミスです。 アウトリーチが考えるインフラとしての居場所は、物理的な場所を指しません。

  • 議論: 「どうすれば居場所に来てくれるか」
  • 実装: 「フードコートや自宅にいながら、社会の役割(タスク)に接続できる構造を作る」

必要なのは、特別な場所へ行く勇気を強いることではなく、彼らが今いる場所(フードコートでも、公園のベンチでも、自室でも)を、そのまま「社会の一部」として機能させるための設計図です。


結びに:支援者は、もっと勉強したほうがいい

膨大な予算をかけて、誰も来ない居場所を維持し続ける。そんな茶番はもう終わりにしませんか。

彼らのニーズは「居場所」ではありません。 「普通の人として、目的を持って、今日という日を生き抜くための役割」です。

アウトリーチは、ハコモノ行政の議論には付き合いません。 どこにいても、誰とも話さなくても、社会の設計図の一部として機能できる。そんな「冷徹で、自由なインフラ」を実装し続けます。


📢 議論は飽きた。設計図を手に取る。

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